道は1本だけ!
出来たてほやほやの地割れに、俺は背を向ける。目の前に道が真っ直ぐに一本伸びていた。
茶色い土が剥き出しになった道は、ここを歩けと主張してくるようだ。
さらに遠くのほうに、壁……らしきものが見える。ちょっと遠くてよくわからないが。それでも、落書きっぽいさがひしひしと伝わってきた。
一周回って悪夢じゃないか? これ。
起きる気配、全然ないし。
「……今、何時だ?」
「夜中の3時です!」
「答えちゃうんだ。ってあと三時間で起きないとか」
溺れそうになったり、モンスターにビビったりしても起きなかった。
俺三時間後に起きれるのか?
だんだん不安になってきた。
「……ハジメくんは、起きないですよ」
ユリの声は小さく、冷たかった。彼女に顔を向けると、目を細め、首を傾け微笑む。
その瞳はハイライトを入れる前のイラストのようで、心臓をそっと撫でられたような気持ちになった。
「だって。今、起きているじゃないですか」
俺は頬をつねると痛かった。だが、ユリは目の前にいるし、ふざけた背景はそのままだ。
彼女はしっとりと、俺に近づいてくる。
「そんなに楽しいんですか? お金を稼ぐことが」
「楽しいとかじゃなくて」
「じゃあ、やめちゃいましょう? 時間がもったいないですよ?」
は?
あまりの言い草に、怒りがガッと込み上げる。
んなの、誰もがわかってやってんだよ。
「やらないと死ぬんだよ」
彼女は頬に人差し指を当てそっと目を伏せた。
「でも、今のままだと」
彼女は俺の胸に手を置いた。
「心が死ぬんじゃないですか?」
あまりに淡々と突き立てられた言葉に、返すことすらできなかった。
固まっていると彼女の手のひらが頬に伸びてきて、俺の顔を包み込む。
ありえないくらいに冷たく、俺の熱を全て持っていかれそうだ。
赤い瞳が覗き込む。
「どうせ捨てる時間なら、私にくださいよ」
彼女は俺の頬を親指でそっと撫でた。
嫌な汗が背筋を伝う。
「ずっとここにいましょう? この世界は君の思うままですよ?」
甘ったるい声が、脳を溶かすようだ。赤に吸い込まれ、自分の輪郭が歪んでいく。
そっか、ずっと寝てれば行かなくてもいいのか。
視界の端にふざけた太陽が入り込む。
いや、ずっといたくわねぇわ。
俺はユリの手を掴んでそっと引き剥がした。
「悪ふざけにしてはタチ悪すぎ」
彼女は俺を見上げると、目を細めた。
「ってか、異世界だったんじゃねぇの?」
「あ、そうです! 魔王が、ハジメくんを定時前出社の邪魔をしているんです!」
「とってつけたような魔王やめろよ。阻止してほしいくらいだけど」
設定も世界もぐだぐだだ。
でも、このぐだぐだ感が愛おしくさえ思えた。さっきのユリが、怖すぎたせいだ。
そんなこっちの気持ちなどしりもしない彼女は、幼い子どものように楽しそうに笑っている。
しばらく道を歩いていると、ユリは大声を出した。
「ハジメくん! エネミーです!」
「エネミー……って」
どっからどう見ても、俺の上司だ。
黒縁メガネに真ん丸な顔、ぶっとい眉毛に、細くて死んだ魚の目。涙ボクロまでついてら。
あのヒゲの濃さからして、こりゃ、残業六連続ってとこだな。
わっかりやすく、深ぁく、おおっきな溜息が聞こえてきた。
「ハァジメくーん? この資料さぁぁ?」
「すみません」
反射的に謝罪の言葉が出る。
ねっちょりとした喋り方に、手に持った資料。指毛に、血が滲んだささくれ。
うわぁ、なんでこの人と資料のディテールだけ深いんだ。
ってか、資料よく見たら項番がズレてる⁈ 列追加した時に直し忘れ……じゃなくて、やめてくれ!
ユリが後ろで騒いでいるのが聞こえてくる。
「戦わないとダメですよ! そいつは経験値です! け、い、け、ん、ち!」
「アホ! これは、逃げる一択だ!」
俺はとにかく逃げた。意外と、早く、走れ……ない。
でも、上司は追っ狗流気配はない。
「おい! ハジメくん! 話はまだ終わってないぞ!」
「知るか!」
無礼極まりない捨て台詞。
ある意味、夢だからこそできること。
遠くてみたちゃちい壁はレンガでできたらしい。レンガでいいんだよなこれ。色がパキッとしすぎて不安になる。
「はじまりの街、りはじまです!」
ユリは元気いっぱいに街を紹介してくれた。
彼女のいうようにここは『りはじま』という街らしい。
門にくっついてる木製のプレート。あそこに明朝体かつひらがなで『りはじま』と書かれているし、って。
家の表札かよ……。